Piroshi's Diary

Piroshkiによる、日記帳 兼 雑記帳。不定期更新。

日々のこと 仕事のこと 趣味や資格勉強について。。。 ぽつぽつと発信するだけのブログ。 需要は一切ございません。

一期一会

Piroshiです。

 

この記事は、2年間お世話になった親愛なる友人たちに宛てたものです。

 

 

■今日は

栃木県のバスケ友達とのバスケ修めをしてきました。

今月いっぱいで引越しするため、レギュラーメンバーとして栃木県民として試合にでるのはこれが最後でした。

 

■ビギナーズカップ in塩谷中学校

ビギナーズカップと冠するつまりは初心者向けの大会に、2年間お世話になり続けたチームで出場しました。

4チームのトーナメント戦で、2連勝すれば優勝できるということでぜったい優勝する意気込みで臨みました!

結果から言うと、見事優勝でした。

一試合は7分×4Qと短かったのですが、一試合目は27得点と予想外の活躍をすることができました。

大好きなメンバーと、最後の大会で有終の美を飾ることができました。

 

ほんとうに、バスケをやっててよかったと思えた瞬間でした。

 

 

■打ち上げ?

試合後はいつもの4人で遊びに出かけ。。。

いつものように極楽湯で汗を流し、いつものように電気屋さんのアーケードゲームやマッサージ機で遊び、いつものようにしゃぶしゃぶをしゃぶりに行きました。

いつもと変わらない、いつもどおりアホな話でひたすら笑って、ひたすら駄弁って。。

ほんとうにあっという間の時間で、落ち着いた空間でした。

 

2年前は知らなかった、僕にとっての居場所がそこにありました。

 

 

■おわかれ

語り尽くして、語ることもなくなって、最後のお別れ。

(最後と言っても会おうと思えばまた会えますが。。)

 

しんみりしちゃうのは苦手なので最後までヘラヘラと笑ってお別れしました。

「またバスケしましょう」と約束を交わしました。

 

帰りの車と、帰り着いたアパートで、僕は泣きました。

 

 

■謝辞

僕が栃木に来てまだ友達なんていなかったころ、最初のバスケ活動であったのがHさんでした。最後の最後、ぼくが車に乗り込もうとしたその手をがしっと掴んで、「ありがとう」と言ってくれました。ありがとうは僕からの言葉です。Hさん、本当にお世話になりました。大好きです。

 

今日の試合のチームのキャプテンがKさんでした。ムードメーカー、底抜けの明るさでいっしょにいれるだけで楽しかったし、いろんなところに遊びに連れてってもらいました。ぼくなんかをチームに誘ってくれてありがとう。大好きです。

 

Sさんも気難しいけど面白い、ずっとかわらずに面白い先輩でした。いや、もう友達だよね。大好きです。

 

この3人にはほんとうにお世話になりました。きっとこの記事を読むことはないと思うし、僕の口からは恥ずかしくてこれだけの気持ちを伝えることはできないと思います。

ですが、忘れないように。風化しないように、ここに記します。

 

あなたがたと共にバスケをやれたこと。

僕が長期離脱したときもずっと変わらずバスケを続けてくれたこと。

復帰時もいつもとおなじ笑顔で僕を受け入れてくれたこと。

何度もバスケして、風呂入って飯食って、たまにいろんなとこに遊びに行ったりしたこと。

みんながバスケを愛して続けてくれたこと。

バスケを通して、また友人として僕を愛してくれたこと。

 

全てに心から感謝します。

 

ありがとうございました。

 

 

大好きです。

ほんとうにありがとう。

 

 

 

 

新卒3年目、ついに日系ホワイト大企業を辞めました。【第二新卒】part1

こんにちは。

Piroshiと申します。

 

台風が熱帯低気圧へとシフトダウンし、、、

見事なまでに夏!

夏が来た!!

 

ところでいきなり本題ですが、私ことPiroshiは、2年半お世話になった弊社を退職いたしました。

 

■人生の岐路

専門学校を卒業後、学校推薦で内定を頂いた超大企業メーカーに入社して3年が経ちました。

世界的なブランド力、クリーンな経営、会社の規模、キャッシュフローのどれを取っても日本のトップクラスに位置する優良大企業に勤めております。

まあ、なんかここまでは自慢みたいになってしまったんですが。。

 

3年目にして、退職を決意した経緯や理由

を自分なりにまとめておきたいと思い、ブログという形でここに記します。 

(長いので分割します)

 

■新卒三年目で転職を決意

"石の上にも三年"とはよく言ったもので、1年目→2年目→3年目 と見える世界がどんどん広がっていき、自分がやれる仕事も増えました。先輩や他部署の方々との交流の機会も増えて、自分を取り巻く仕事の環境がよりマクロ的に理解できるようになったのが、つい最近でした。

しかし、知見が広がるに従って私の勤労意欲(死後でいうところのモラール)はどんどん下降線を描いていきました。

 

まあいろいろな思いがあって、こういう結果になったのですが、退職に至るまでのフローは以下でした。

  • 1年目で仕事(というか業界)に嫌気がさす。
  • 転職サイトに登録。
  • たまたま見つけた良さげな会社に応募→なぜか合格。
  • 退職・転職へ。

こんな感じです。

正直、自分でもこんなに早く転職することになるとは思っておらずびっくりしてます。

 

とりあえず簡単に振り返ってみようと思います。①辞めようと思った理由 ②転職活動 ③退職した今思うこと について、この三つを考えます。

 

■辞めようと思った理由

 まず最初に思ったのは、1年目の工場へ実習していた時期です。この会社へは、私は当初小型の電子機器の開発・設計エンジニアになりたくて入社しました。が、配属されたのは大型の産業用装置に関わる部署でした。

装置は一軒家ほどの大きなもので、工場では自分が何を作っているのかもよく分からず1年が過ぎました。"他の業界がいいなぁ…"と漠然と考えていました。

 

それからは市場に出て装置を客先に設置しにいく仕事を一年間やりました。工場にいた時からウワサを聞いていましたがこの設置作業、完全な肉体労働(!)。この辺でもう徐々に闇が私の心を蝕んでいきました。

 

募りに募った不満などは後述で箇条書きします。量は多いしくだらない内容なので読み飛ばしてもらったほうが嬉しいです。

 

↓ここから

  • 辞令一つで転勤・海外赴任させられ、上司に媚びなければならず、常に家族より仕事を優先させ、新卒から定年まで勤めあげる、そんなサラリーマンの理想モデルが嫌になった。
  • 一年間実習だったが実は実習ではなく応援だった。つまり人手不足のための補助要員だった。
  • 高待遇・終身雇用にしがみつく老害、モチベーションのまったくないただの会社の飼い犬みたいな先輩社員。
  • モチベーションは高いが独立志向はなく、この会社の中での地位を向上するためだけの能力に長けた先輩社員。
  • 専門卒のため、同期・年の近い社員が近くにいなかった。
  • 大企業がゆえの障害が多い。部署間連携・意思決定の遅さ。人事制度の不透明さ。緩やかすぎる給与上昇カーブ。ハンコを押してばかり。。
  • 自分の裁量で仕事できるようになるには10年はかかる業界で、知識・人脈を蓄積した先輩社員が大勢いる。自信喪失。
  • きつい時に踏ん張れるような、そんな心の支えがない。
  • etc.

↑ここまで。

 積もり積もった鬱憤・心と現状の不一致を吐き出すように、転職活動を始めてみることにしました。。。

 

 

(Part2へつづく)

 

ただいま日本

■帰国しました。

長期の出張が終わり、本日、日本に帰国いたしました。

長かった、、、ほんとに長かった。

 

2016年は、韓国でそのまま年越し。

それから1ヶ月は仕事づくしで心も体も休まる暇はありませんでした。

ふとした時に「帰りたい」と思っては、涙を拭い、自分を励まして仕事に向き合い、またふとした時にホームシックになって嗚咽を漏らす、、そんな繰り返しの日々でした。いや、まじで。

 

日本の空港に降り立って、最初の一呼吸。

明らかに空気の味が違いました。

「空気がキムチ臭くないぞ…!」

そんなことにも感動を覚えたりしました。

 

たこやき…日本で最初に口にした食事。

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人生の中で最も美味しいたこやきだったと思います。(感動のあまり記憶が曖昧になっとる)

 

■一ヶ月遅れの冬休み

しばらくは休暇をいただきました。

といっても1週間ほど。。。

 

リフレッシュして、体力回復に努めようと思います。

また再び、社会の歯車として、社会に消費されるために、、、

 

ではまた。
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